2014/10/26

ROCK&SHAKE 清水(zoo-shimi)さん追悼文

ROCK&SHAKE 清水(zoo-shimi)さん追悼文



亡くなって1年以上経ちました。いろいろ迷いましたが僕の偉大な先輩を追悼する意味を込めて、やっぱり書きます。


清水さんとの出会いは、1990年だった。
バブルの余韻が残る1990年に僕はDJを目指して上京し、幸運にも色々な方のご好意で、尊敬するCLUB SKAの御大ナベさんに弟子入りする機会にすぐに恵まれ老舗イベント「CLUB SKA」でDJを始める事ができ、いきなり夢が叶ったのであった。
しかしDJになれたは良いものの、若干20才の当時の僕のレコードはコンピや再発ばかりであまりにもショボく、それは当時、当然の如くネットも無く、加えてレゲエ専門のレコード店はその当時日本には一件も無く、ホトホト困って師匠に「スカのレコードってどこで買えますかねぇ??」と恥ずかしながら伺うと、「新宿に俺の知り合いのレゲエのレコード屋さんができたから行ってみなよ!」というありがたい情報をすぐに教えて頂き、なんとその店があの老舗中の老舗「オレンジストリート」だったのである。
今でも覚えているけど、早速翌日にはお金を握りしめて、ションベン横丁を駆け抜け(笑)、小滝橋通りを迷いながら辿り着くと、そこはお宝の山だった・・・当時、ジャマイカ盤は勿論、ブルービートのUK盤のシングルでさえ日本の他のレコード店に皆無の時代に、スカやレゲエのあまりにも凄いその品揃えに凄い衝撃を受けた・・・伺った初日にほぼ全財産を使い(笑)それをきっかけにお店の方々ともすぐに打ち解けたのだった。それから連日のように通っていたある日、『そいえば、君と同郷の清水って奴がいるから紹介するよ』と言われたのであった。
前置きが長くなったがそれが始まりである。

後日、今はなき下北沢のクラブ『zoo』で、当時のスカフレイムスのメンバーの方などがDJしていたパーティーが終わった早朝に、長井(マイティマサ)さんに紹介されたのが、初めての出会いだった。そこで話をするとなんと隣町の一個上の先輩だった。僕は栃木県の佐野市出身で、清水さんは隣の足利市出身。あんなに小さな街どうしなのに、不思議と全く面識がなかった。
当時、清水さんも上京してすぐだっただろうか、当時は代々木の焼き鳥屋で働いていたので、仕事がハネてからの早朝の出会いになったのだが、その場ですぐに打ち解けて、早朝の南口の牛丼屋で早速話し込んだ。


1991年に雑誌キューティーに掲載された唯一の写真。

それからすぐに意気投合し、清水さんが住んでた代田橋のアパートにほぼ毎日夜な夜な遊びに行った。競馬新聞を携えて・・・それで、週末のレースの予想をしながら、何時もかけてくれる曲がたまらなくカッコ良かった・・・シブいダンスホールやヒップホップのネタのFUNKやJAZZなど、沢山教えてもらったものだ。それをきっかけに、自分には未知の世界のFUNKやJAZZの世界に目覚めたのだった。そして、同郷の先輩で、お互いに下戸であったので、すぐに打ち解け、色々相談にのってもらったり、休みの日には一緒にレコード屋を巡ったり、パチンコに行ったり、本当に楽しい時間だった。本当に自分の中では兄貴みたいな存在になっていった。


当時の清水さんは確かダンスホールやヒップホップのDJを目指していたと思う。僕にとってはその未知の音楽を教えてもらう事もワクワクしたし、その清水さんのファッションセンスや音楽的センスと音楽の知識、そしてその振る舞いがすごく好きだったし、尊敬していた。それから程なくして清水さんも古いレゲエにハマりだし、ついにオレンジストリートで働き始める。あのスカからレゲエの膨大な知識とコレクションを得て行くのであった。その後、まもなく渋谷のクラブで一緒にパーティーをやったが、自分のコレクションとの、その差をすぐに感じたものだ(笑)。あっと言う間に量も質も追いこされたのだった! やはり根っからのコレクターであり、もともとオールディーズからロカビリー、R&B 、SOULやFUNKを一通り通過した後にジャマイカの音楽に辿り着いたので、ルーツ・ミュージックのカバーが多いREGGAEやSKAを吸収するのが異様に速かった。ルーツミュージックに詳しいと、他のジャンルの音楽もすぐに馴染んでしまうものだ。


その後の数年の間に様々な事があり、もうありすぎて良く覚えていない。だけど1994年頃に突然、『俺、田舎に帰って店開けっから、これからも色々協力してくれよな!』と言われた。それから数ヶ月後、西新宿の居酒屋での送別会の日、今でも覚えてるけど、皆泣いてたのに何故かあの時はなぜか全然淋しくなかった。東京と足利の距離感が皆と違ってそう遠く感じなかったからかもしれない。


そして足利で「ROCK&SHAKE」を開店して、開店には微力ながら自分もお手伝いすることができた。清水さんの人柄もあり、すぐに地元では有名店になった。内装もかっこ良くセンスにあふれた本当に清水さんらしい店だった。県外はもちろん、東京からも数多くのお客が訪れ、遠方から訪れたお客さんが皆口々に「なんでこんなイイ店がこんなトコにあるんだ!」と言っていたそうだ。なぜか自分の事のように嬉しかった。

それから何ヶ月かに一回は、納品を理由に顔出してたので、清水さんは本当に帰郷した感じがしなかった。
しかし当時自分もこの商売を始めたばかりで忙しく、段々と足利に行くペースも落ちていったけど、常に心の支えって言ったらちょっと大袈裟だけど、自分も体を壊した時とか、離れていても本当に支えとなってくれた。


2002年の年末のある日、古いファンキーなレゲエだけのmix cdをアメリカのあるDJが出したのを見つけ早速聞いたが、あまりの稚拙さに、これだったら清水さんがやったらもっと凄いのができる、と確信して清水さんに話すと、『俺のレコード貸してやっからmixできるDJ探してくれよ‼』と、あのぶっきらぼうな言い方で突き放された(笑)。
それで色々なDJに声を掛けたが断られ続けた。そもそもピッチの合わない生音のMIXを手がけてくれるDJは皆無だった。そして諦めかけていたある日、たまたま店に来て頂いてたムロさんにそれとなく話をすると、即決で快諾して頂き、後日、清水さんを紹介すると、すぐに意気投合されて、トントン拍子に話しが決まったようだった。それから全てをお二人に任せて、逆にこれ以上ない一番ベストな形、「Super Funky Reggae Breaks」として販売されたのだった。(結局お互いに1本づつ、ムロさんはご自身のレコードのみでMIXし、清水さんもご自身のレコードのみでMIXするというVS形式になった。)
内容は勿論最高で、このMIXテープをきっかけにFUNKYなREGGAEが好きになった、という話しを数多く聞き、自分事のように嬉しかった。そして清水さんのセンスと才能がやっと全国的に認められたことが何より嬉しかった。


そのMIXテープの最後に、レゲエ以外のJames Brownの「PEOPLE WAKE UP AND LIVE」を入れてたのは、当時は不思議に思ってたけど、今思うと、とても感慨深い。清水さんらしい、実にお洒落な選曲なのだ。
今あらためて聴くと、中盤のJBとフリューゲルホーンの掛け合いの様なパートが実にメロディアスで美しくて、色々な思い出が走馬灯のように映しだされて何故か泣けてくる・・・。


その後出されたMIX-CD「Funk Of JudAs」も衝撃的だった。当時ほぼ無名の曲のみで、しかも編集なしのターンテーブル2台のみで一発録りであのクオリティーである。次の作品も是非聞いてみたかった・・・


その後、佐野市に移転されて、まもなく顔を出し、あの独創的な内装についても熱く語ってた。それからまもなく、ROCK&SHAKEが雑誌「GROOVE」の表紙を飾り、紙面にも掲載されて、これで準備は整ったと思い安心していた。そして、震災の3日前に、久しぶりに店に顔を出した。あのクシャッとした笑顔で迎えてくれた事を今でも想い出す。それが最後になってしまった・・・


・・・・


もっと話しをしとけば良かった。ちょっとした誤解で躊躇っていた「いろいろ一緒にやろう」と言われた事も実現しておけば良かった。イイ曲ももっと教えて貰いたかった。今では、もう、どれも実現できない。永遠に止まってしまった。


親族以外で、これだけ近い存在の人が亡くなるのは自分にとって久々の経験で、未だに信じられないし、考えたくない。
今になって、ジワジワと淋しくて悲しい。 ただ、いつまでも悲しんでいても仕方ないので、これを機にやっと切り替えようと思う。



清水さん、安らかにお休み下さい。

フェイスレコード店主
武井



Face Records
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